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地域の紹介
土屋地区は、東西約3.6q、南北に約3.2qの方形状の区域で、面積は平塚市の約十分の一。東西に向って標高80〜120mの里山や丘陵に挟まれた谷間が走っており、南側は小高い山々が連なり、春秋の季節は遠藤原から土屋一帯を望む小高い山々の景色は、小波を打っているように見え、また格別な味わいがあります。
平安時代末期には、土屋三郎宗遠がこの地を治め、治承4年(1180年)には、源頼朝に従い、石橋山の旗挙げに参戦しています。宗遠は源平合戦での活躍から、地頭職に任命され、頼朝・頼家・実朝と源氏三代の将軍に仕えました。
また、土屋は、鎌倉時代の惣領制のなごりが地区名となっています。土屋を大きく四つに分けて、上惣領(矢沢)、惣領分(琵琶を含む)、大庶子分(庶子分・小熊・遠藤原)、大寺分(寺分・早田・人増)となっています。惣領制の名残といえる地名が、いまも残っているのは全国的にもきわめてめずらしいといわれています。これを「土屋三分」といいます。
横穴古墳や古寺、古社などが点在する土屋は、律令制の時代から集落として栄えており、古道や坂道の途中には、いにしえを物語る数多くの石仏や道祖神がたたずんでいます。
平安時代末期には、土屋三郎宗遠がこの地を治め、治承4年(1180年)には、源頼朝に従い、石橋山の旗挙げに参戦しています。宗遠は源平合戦での活躍から、地頭職に任命され、頼朝・頼家・実朝と源氏三代の将軍に仕えました。
また、土屋は、鎌倉時代の惣領制のなごりが地区名となっています。土屋を大きく四つに分けて、上惣領(矢沢)、惣領分(琵琶を含む)、大庶子分(庶子分・小熊・遠藤原)、大寺分(寺分・早田・人増)となっています。惣領制の名残といえる地名が、いまも残っているのは全国的にもきわめてめずらしいといわれています。これを「土屋三分」といいます。
横穴古墳や古寺、古社などが点在する土屋は、律令制の時代から集落として栄えており、古道や坂道の途中には、いにしえを物語る数多くの石仏や道祖神がたたずんでいます。
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今回は、12月18日放送の「鎌倉殿の13人」 最終回「報いの時」で描かれた承久の乱やその後の土屋氏の活躍について紹介します。
1221年の承久の乱には、土屋氏も参戦しています。吾妻鏡の1221年6月18日の項では、6月14日に宇治の合戦で敵を討った人々が記録されています。その中に土屋三郎兵衛尉[1人](1人を討ち取った)という記載があります。土屋三郎宗遠はすでに亡くなっているので、その子孫の誰かと考えられます。 大河ドラマでは承久の乱後西国が荒れ、訴訟が増えたため北条泰時が御成敗式目(幕府が裁判で使う判断基準のルール)を作る姿が描かれました。これは、承久の乱後に後鳥羽上皇側の武士等が持っていた西国の土地を東国の御家人に恩賞として与えたことが原因と考えられます。土屋氏も恩賞として、河内国伊香賀郷(大阪府枚方市)の地頭になったという記録があります。 その後北条泰時は3代執権となり、連署(執権の補佐)と評定衆(11人)を整え、13人の合議制のもと政務や訴訟を行っていき、執権政治を確立していきます。1234年には、土屋三郎宗遠の子の土屋宗光も評定衆となり、三浦義村らとともに鎌倉幕府の中枢で活躍し名家として続く土屋家の基礎を築いていきました。 鎌倉殿と土屋氏P「源実朝と土屋三郎宗遠」 鎌倉殿と土屋氏O「和田合戦後、土屋氏は・・・」 土屋三郎宗遠15 その後の土屋氏 土屋宗光 ふるさと土屋思い出写真館 | |
2022/12/16 12:09:06
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令和4年11月27日(日)、「ふるさと土屋いろはかるためぐり」を実施しました。4回目の今回は、七国荘に集合し、上惣領・惣領分方面の古道を歩きました
家族連れが2組参加してくれ、子ども達の元気な声を聴きながら楽しく歩きました 七国荘start |
2022/12/16 12:08:53
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12月14日朝の時間、「いじめ防止集会」を開きました。これは、子どもたちが自分たちで、いじめのない学年、学校にするにはどうしたらよいのか話し合い、発表するものです。
各学年それぞれ内容に違いはありますが、みんなが安心できる学校にしたいという思いが伝わってきました。 本校は、セーフティプロモーションスクール認証校ですので、現在も「安全」を推進していく活動に取り組み続けています。でも、「安心」も同じくらい重要なことです。これがなければ「幸せになれる学校」は成り立ちません。私たち教職員は、それを第一に考えて、教育活動を進めてまいります。まだまだ改善の余地はありますが、今日の子どもたちの「決意」本物だと感じました。 |
2022/12/16 12:07:21
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土屋三郎宗遠の菩提寺として「阿弥陀寺」として創建されました。当時は関八州で七ケ寺に数えられる修行道場として栄えましたが、室町時代に土屋は大森氏のものとなり、「芳盛寺」と改称されました。 |
2022/12/15 15:54:14
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平成9年の違法な残土の埋め立てにより、現在はその姿をみることはできませんが、盛土の下には6〜8世紀頃のものと考えられる十四基ほどの「横穴古墳」が埋まっているそうです。 |








