ふるさと土屋

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    地域の紹介

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    土屋地区は、東西約3.6q、南北に約3.2qの方形状の区域で、面積は平塚市の約十分の一。東西に向って標高80〜120mの里山や丘陵に挟まれた谷間が走っており、南側は小高い山々が連なり、春秋の季節は遠藤原から土屋一帯を望む小高い山々の景色は、小波を打っているように見え、また格別な味わいがあります。
     平安時代末期には、土屋三郎宗遠がこの地を治め、治承4年(1180年)には、源頼朝に従い、石橋山の旗挙げに参戦しています。宗遠は源平合戦での活躍から、地頭職に任命され、頼朝・頼家・実朝と源氏三代の将軍に仕えました。
     また、土屋は、鎌倉時代の惣領制のなごりが地区名となっています。土屋を大きく四つに分けて、上惣領(矢沢)、惣領分(琵琶を含む)、大庶子分(庶子分・小熊・遠藤原)、大寺分(寺分・早田・人増)となっています。惣領制の名残といえる地名が、いまも残っているのは全国的にもきわめてめずらしいといわれています。これを「土屋三分」といいます。
     横穴古墳や古寺、古社などが点在する土屋は、律令制の時代から集落として栄えており、古道や坂道の途中には、いにしえを物語る数多くの石仏や道祖神がたたずんでいます。

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    土屋かるためぐり【京】関口坂と小田原街道

    [特集E「いろはかるた」めぐり]

    2022/12/15 15:39:19
    カメラ❶:関口の坂 令和4年12月18日(日)撮影
    カメラ❷:小田原街道 令和4年12月18日(日)撮影

    この道は小田原・大磯方面から鶴巻・真田方面へと抜ける道で「小田原街道」と呼ばれていました。西の京都と東の江戸を結ぶ街道でもあり、土屋にとっても重要な街道として利用されました。

    矢印下この場所(かるた)の解説は、添付のPDFファイルをご確認ください。
    39634_A.pdfかるた解説㊺【京】.pdf

    土屋かるためぐり【と】金目川

    [特集E「いろはかるた」めぐり]

    2022/12/15 15:33:09
    カメラ:令和4年12月20日撮影

    金目川は「あばれ川」と言われ、大雨の際にたびたび決壊し大きな被害がでていました。現在では堤防が整備され安心して稲を作れるようになりました。小熊下や寺分の耕地田では、現在も金目川の水の恵みを受けて、田んぼの耕作が行われています。

    矢印下この場所(かるた)の解説は、添付のPDFファイルをご確認ください。
    39631_A.pdfかるた解説F【と】.pdf

    土屋かるためぐり【な】熊野神社

    [特集E「いろはかるた」めぐり]

    2022/12/15 15:33:09
    カメラ❶:昔の熊野神社
    カメラ❷:令和4年12月20日撮影

    平安時代末期に土屋三郎宗遠が紀州の熊野権現を参詣し、御霊を分けていただき祀ったといわれています。

    矢印下この場所(かるた)の解説は、添付のPDFファイルをご確認ください。
    39632_A.pdfかるた解説㉑【な】.pdf

    土屋かるためぐり【ろ】小熊の六体地蔵

    [特集E「いろはかるた」めぐり]

    2022/12/15 14:29:04
    カメラ:令和4年12月20日撮影

    人は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六道を生まれ変わり、無終に迷いの世界を巡るといわれ、その苦を救うために六道のそれぞれに一体ずつ地蔵尊があるそうです。

    矢印下この場所(かるた)の解説は、添付のPDFファイルをご確認ください。
    39629_A.pdfかるた解説A【ろ】.pdf

    土屋かるためぐり【わ】琵琶の杜鵑山

    [特集E「いろはかるた」めぐり]

    2022/12/15 14:29:03
    カメラ❶:令和4年12月15日(木)七国荘裏の坂から杜鵑山を撮影
    カメラ❷:令和4年8月28日(日)杜鵑山の宝篋印塔

    杜鵑山には昔話があり、鎌倉時代に「和田の乱」が起こり、土屋義清は和田義盛に味方し出陣しました。古謡によるとこの杜鵑山で義清は鎌倉へ行こうか土屋へ戻ろうか思い悩んだといわれています。

    矢印下この場所(かるた)の解説は、添付のPDFファイルをご確認ください。
    39628_A.pdfかるた解説L【わ】.pdf


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