ふるさと土屋

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    地域の紹介

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    土屋地区は、東西約3.6q、南北に約3.2qの方形状の区域で、面積は平塚市の約十分の一。東西に向って標高80〜120mの里山や丘陵に挟まれた谷間が走っており、南側は小高い山々が連なり、春秋の季節は遠藤原から土屋一帯を望む小高い山々の景色は、小波を打っているように見え、また格別な味わいがあります。
     平安時代末期には、土屋三郎宗遠がこの地を治め、治承4年(1180年)には、源頼朝に従い、石橋山の旗挙げに参戦しています。宗遠は源平合戦での活躍から、地頭職に任命され、頼朝・頼家・実朝と源氏三代の将軍に仕えました。
     また、土屋は、鎌倉時代の惣領制のなごりが地区名となっています。土屋を大きく四つに分けて、上惣領(矢沢)、惣領分(琵琶を含む)、大庶子分(庶子分・小熊・遠藤原)、大寺分(寺分・早田・人増)となっています。惣領制の名残といえる地名が、いまも残っているのは全国的にもきわめてめずらしいといわれています。これを「土屋三分」といいます。
     横穴古墳や古寺、古社などが点在する土屋は、律令制の時代から集落として栄えており、古道や坂道の途中には、いにしえを物語る数多くの石仏や道祖神がたたずんでいます。

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    雨の日も風の日も子どもたちを迎えてくれます

    [土屋小学校・土屋小PTA]

    2022/06/15 16:28:32
      毎日子どもたちを迎えてくれる人を紹介します。その人は・・・、
    「二宮金次郎」です。みなさんもご存知のこの像の解説板が老朽化したため、新たに作成しました。子どもたちにとっては、当たり前にあるこの像ですが、移設するために多くの人たりの努力がありました。学校にも「修復記念誌」が残っています。
     これからも子どもたちを見守り続けることでしょう。もちろん、私たち教職員も。
     

    5・6年生 心を一つに

    [土屋小学校・土屋小PTA]

    2022/06/14 13:21:08
     5・6年生の体育は、「トリムバレーボール」です。今回のルールは、レシーブした後、トスを上げる時、ボールをもってその場からアタッカーが打ちやすいボールを上げ、そしてアタックします。各チームともに話し合いを重ね、チームの強みを生かした練習方法を考えてゲームに臨んでいます。ラリーも良く続き、とても盛り上がっています。
     体育の学習では、バレーボールそのものを行うのではなく、自分たちの力にあったルールを考えながらゲームを楽しんでいます。
     

    紫陽花の似合う季節になりました

    [土屋小学校・土屋小PTA]

    2022/06/13 18:18:58
    梅雨に入り、天候不順が続いています。子どもたちも「先生、昨日は停電したんだよ」と教えてくれました。梅雨真っ盛りではありますが、本校でも紫陽花が見頃を迎えています。
     これから土屋地区のあちらこちらで紫陽花がきれいに見えてくることでしょう。
     長雨はあまりうれしくありませんが、植物にとっては大切なことなのですね。
     

    鎌倉殿と土屋氏L「富士の巻狩と曽我の仇討」

    [土屋の "旬" な話題]

    2022/06/13 15:51:23
     6月12日放送の「鎌倉殿の13人」 第23回「狩りと獲物」では、富士の巻狩と、曽我兄弟の仇討が描かれました。
     笠懸や流鏑馬が実戦用の矢を使用しないのに対し、巻き狩りは実際に獲物を射つ狩りです。射手に選ばれる御家人は、頼朝からとても信頼されている武士だけでした。
     吾妻鏡によると、1193年3月25日の武蔵国入間野での追鳥狩の際に土屋兵衛尉義清が二十二人の射手の一人として選ばれています。弓を持たずに馬に乗って走り回り、動物を追い出すだけの役目の御家人が多数いた中で、射手になるということは、土屋兵衛尉義清が頼朝から信頼されている証であり、義清の弓馬の技術は、将軍の目にとまるほど優れていたと考えられます。
     富士野の巻狩にも土屋義清の名が載っているため、今回の巻狩のシーンの中に土屋義清もいたと考えられます。
     曽我兄弟の仇討は、土屋氏とは直接の関わりはありませんが、土屋氏の親戚筋であると言われており、平塚市ともゆかりがあるので少し紹介します。
     曽我兄弟の祖父は伊藤祐親であり、祐親の妻は中村宗平(土屋三郎の父)の娘とされているため、曽我兄弟は土屋三郎の妹の孫にあたると考えられます。
     吾妻鏡では、平塚市とゆかりの深い虎女(兄十郎の思い人)が取り調べを受けたが無罪放免されたことや十郎の菩提を弔うため出家したことも記されています。また、詳しい記述はありませんが、この事件のすぐあとに岡崎四郎義実が出家しているため、何かしら事件に関わっていたのではという説もあります。
    土屋三郎宗遠19 吾妻鏡に見る土屋氏4
    土屋三郎宗遠20 吾妻鏡に見る土屋氏5 
    鎌倉武士のくらし 小学生版 土屋三郎宗遠10 御家人のおつとめ
    鎌倉武士のくらし 小学生版 土屋三郎宗遠11 続 御家人のおつとめ
    鎌倉武士のくらし 小学生版 土屋三郎宗遠12 弓馬の達人土屋義清〜曾我兄弟の仇討ち
    矢印上義経追討以降の、土屋氏の活躍や御家人の仕事がよくまとめられています。
    ■五雲亭貞秀 画「富士の裾野巻狩之圖」
    ■歌川国久 画「源頼朝公富士裾野牧狩之圖」
    鎌倉殿と土屋氏K「屋島・壇之浦の戦い」
    広報ひらつかで「鎌倉殿と平塚の七人」が特集
    真田与一と岡崎四郎の史跡をめぐる(新緑のハイキング)

    今年こそ・・・「緑のカーテン」育成中♪

    [土屋公民館]

    2022/06/10 15:28:53
    今年も公民館1F図書コーナーの西側に緑のカーテンを作ります♪

    令和4年6月10日(金)、「竹さえあればなんでもできる」を合言葉に、土屋の竹を使い支柱を組み立て、ネットをかけました晴れ
    今回は、
    里山をよみがえらせる会からいただいたゴーヤと、
    上惣領竹あかりの皆さんからもらった瓢箪(ひょうたん)を植えました梨ピカピカ

    去年は高さが出なかったので、今年こそ天井まで覆いつくすエコな「緑のカーテン」を作りたいと思います!

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