本日の訪問者
44
累計
1,027,807
地域の紹介
田村は平塚市の北東部・相模川沿いに位置し、西に富士・箱根・丹沢・大山を望む風光明媚な地域です。又、南北に国道129号が通り、自動車販売店・大型電器店・大規模商業施設等で賑わっています。古くは、田村通り大山道、八王子往還の継立場として繁盛し、更に「田村の渡し場」があり、交通・物流の要所として栄えていました。無形文化財の田村囃子と印場踊りや、鎌倉武将・三浦義村館跡等の旧跡もあります。明治22年に神田村となり、昭和31年に平塚市と合併し自治会活動、福祉活動、その他各種団体の地域活動も盛んです。地区には平塚市の聖苑(火葬場)があり市民生活に役立っています。
投稿記事の分類
■二次元コードを携帯電話で読み込んで、表示されるURLを押して下さい。
■通信にかかる費用は、ご利用者のご負担となります。
■通信にかかる費用は、ご利用者のご負担となります。
事務局専用ページ
新着記事
- 2026/07/03 七夕飾りをつくりましょう
- 2026/07/03 楽しいお菓子作り
- 2026/07/02 【回覧板】夜間パトロール参加ご協力のお願い
- 2026/07/02 【回覧板】八坂神社例大祭神輿渡御に伴う『車両一時通行止めのお知らせ』
- 2026/07/02 【回覧板】八坂神社例大祭
- 2026/07/02 【回覧板】 平自連だより 第113号
- 2026/07/02 【回覧板】意見交換会の参加者募集
- 2026/07/02 【回覧板】福祉だよりひらつか 167号
- 2026/07/02 【回覧板】あなたの家の『住宅用火災報知器』大丈夫ですか?
- 2026/07/02 【回覧板】プラザだより 7月号
[田村の文化と歴史]
2015/02/25 16:57:38
|
公民館長の田村の地を訪ねる43【初午(はつうま)と稲荷(いなり)】 初午(初稲荷)とは、2月の最初の午(うま)の日にわらで作った「わらづと」に赤飯をのせ、油揚げ、メザシ、煮しめ、団子などを稲荷に供える稲荷社の祭りを云う。「神田郷土いろはかるた」(右上の写真)にも紹介され子どもたちに伝えられている。この日に、関東三大稲荷と称される秦野の「白笹稲荷」に参詣してお札を自分の家の稲荷に供えるお宅や、稲荷の前で正月飾りなどのお焚き上げをされるお宅もある。旧家の庭に、お稲荷さんが必ずと云っていいほど祀られている。稲荷の祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)で、農村では、農業神、漁村では漁業神、都市では、商工業者の守護神として信仰されている。稲荷信仰では、狐が稲荷の使者として尊敬され、狐の好物の油揚げやメザシを供える。昔は、京都の伏見稲荷大社、豊川稲荷社に参詣したり、「正一位稲荷大明神」と書いた赤い幟(のぼり)を立てて、近所の人々が集まって飲食を共にしたりしながら親睦を深める稲荷講が行われていた。(平井) |
[田村の文化と歴史]
2015/01/30 21:18:03
|
公民館長の田村の地を訪ねる42 【岸田家伝来の太形蛤刃石斧(ふとがたはまぐりばせきふ)】 太形蛤刃石斧は、戦前に二つの石斧が天神森の社(やしろ)のところから岸田家の当主によって発見されたもので、一点は博物館に一点は岸田家に所蔵されていると『神田のあゆみ』に記載されている。しかし、昨年、確認したところ岸田家にはなく、あったことさえ知らないと云われた。また、博物館に寄託された石斧については、「毎年手続きをするのが大変なので寄付した」と話された。現在、石斧は博物館の二階に展示され、『平塚市考古資料50選』にも紹介されている。神奈川県内では隋一の大きさで長さ21.3p重さ1.351gもあり、ズシリとした重みで使用した痕跡が見られる磨製石器である。重量を生かした破壊力で樹木の伐採や木材の荒割りに使われたようである。石材は変成岩の一種のホルンフェルス、弥生時代中期頃のものと考えられている、この近くには、田村天神前遺跡や田村館跡遺跡がある。天神前遺跡からは、7世紀から10世紀にわたる住居跡を中心とする遺構が発見され集落があったことが確認され、田村館跡遺跡からは弥生時代中期の土器が発見されている。ホルンフェルスとは、硬い岩石と云う意味があり、県内では丹沢山系で見られるもので、ことによると相模川から採取されたものが石斧に加工された可能性があるかも知れないかと思いをめぐらすのも楽しい。 右上の写真は田村天神前遺跡 (平 井) |
[田村の文化と歴史]
2014/12/24 20:14:36
|
公民館長の田村の地を訪ねる41【消防第12分団】
田村6丁目、植竹の信号を東に進んだところに平塚市消防第12分団(左上写真)がある。市内には19分団ある。団員は、横内・大神・田村の20名で構成され、神田地域は無論のこと市内及び隣の伊勢原・厚木・寒川までを活動範囲としている。月2回ほど点検、検査、訓練をしているとのこと。市においての操法大会でスピードと技術が競われ消防力向上に努めている。消防は、明治の中頃までは、火消しと呼ばれ、最寄りの人々が集まって消火につとめるものであったが破壊消防の域をでるものでなかった。明治27年消防組規則が公布され明治34年町村単位の消防組が編成された。組頭・小頭・消防手から構成された。真ん中の写真(八田正巳家蔵)から、大正時代の第一部から第三部までの神田村消防団、団長は八田栄太郎氏、およそ210名の団員で組織されていたことがわかる。昭和13年、戦時体制に突入するため警防団として改組され、消防任務のほかに戦争遂行上、指導的権力が附与された。右上の写真(茂田明家蔵)は、昭和19年、石川重昌警防団長の時の神田村警防団全体の木製の火の見やぐらと新しい鉄製の火の見やぐらの前で記念写真である。他に青年会館(詰所)前での神田村警防団第一分団の写真(金子貞子家蔵)が残されている。終戦後、22年警防団が廃され、町村長所管の消防団が発足した。昭和25年12月の公設消防一覧によると神田村消防団は、団長以下164名であった。当時の主な器具は腕用ポンプ3台という状況であった。写真にあるとおり、現在の十王堂跡のところに火の見やぐらがあり、上に半鐘が架けられていた。竹や木で作られた火の見やぐらで後に鉄製の火の見やぐらが設置された。昭和43年に田村の相模川西岸に消防訓練所が建設されたが、昨年、豊田地区に移転された。 (平 井) |
田村地区 行事スケジュール 平成26年12月〜平成27年4月
2014/12/02 8:59:50
|
田村地区 行事スケジュール
平成26年12月〜平成27年4月の田村地区の行事スケジュールをUPしました。 スケジュールは最新のもので確認下さい。 確定になると枠に囲まれます。 ※枠に囲まれていない行事は未定です。 例年の日程を曜日重視で予定としてのせています。 行事修正・確定の場合は、HP顧問の福島昌保090-5343-2853まで連絡下さい。(重田) |
[田村の文化と歴史]
2014/11/29 14:20:11
|
公民館長の田村の地を訪ねる 40【田 村 市】 「田村市」は、毎年12月26日に歳の市として八坂神社の境内でとり行われている。最近ではダルマ市と云われている。関東最初のダルマ市が小田原の飯泉観音(坂東三十三観音霊場五番札所)で12月17日から18日に開かれる。ついで、25日平塚八幡宮、26日田村、27日茅ヶ崎、28日寒川一之宮と続く伝統の歳の市になっている。最近は、出店する業者が少なくなり、田村の歳末の風物詩も寂しくなっている。以前は、田村のメインストリート(厚木道)の茶屋町のところに店が出ていて、正月用品がそろう市でダルマやお飾り、しめ飾りの付属品のダイダイ、ウラジロ、ユズリハをはじめお宮、神棚を売る店などが軒を並べていた。また、下駄、足袋、肌着などの日用品も置かれ、独楽や羽子板など正月の子どもたちの玩具も売られ、遠方からの人たちも多く大変にぎやかであった。ダルマを買うと「家内安全、無病息災、商売繁盛」などと唱え「ヨヨヨイ ヨヨヨイ ヨヨヨイ ヨイ」の手締めをし、合わせて火打石で火花を散らす。ダルマは前年より一回り大きいものを求めるものだと云われていた。市内のだるま屋さんや仏具屋さんに確認したがわからなかったが、古老の話によると「田村市」が始まった時期は大正時代の末期頃のようで、茶屋町から八坂神社の境内に移った時期も定かではないが、平塚厚木間のバスの本数が増えたことなどの交通事情から、昭和30年前ごろに移転したのではないかと云われている。 (平 井) |


