わたしの田村

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    地域の紹介

    相州大山道田村渡の景一勇斎(歌川)国芳作〜現在の神川橋と相模川から西を望む
    田村は平塚市の北東部・相模川沿いに位置し、西に富士・箱根・丹沢・大山を望む風光明媚な地域です。又、南北に国道129号が通り、自動車販売店・大型電器店・大規模商業施設等で賑わっています。古くは、田村通り大山道、八王子往還の継立場として繁盛し、更に「田村の渡し場」があり、交通・物流の要所として栄えていました。無形文化財の田村囃子と印場踊りや、鎌倉武将・三浦義村館跡等の旧跡もあります。明治22年に神田村となり、昭和31年に平塚市と合併し自治会活動、福祉活動、その他各種団体の地域活動も盛んです。地区には平塚市の聖苑(火葬場)があり市民生活に役立っています。

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    公民館長の田村の地を訪ねる 53【神田郷土いろはかるた】

    [田村の文化と歴史]

    2015/12/29 12:46:32
    公民館長の田村の地を訪ねる 53【神田郷土いろはかるた】  
       毎年、公民館で1月に開催されている新年恒例のかるた大会は、今年で15回目を迎える。神田中学校区青少年健全育成連絡協議会(若樹の会)の皆さんと神田公民館の共催事業として神田公民館で神田小と相模小の子どもたちと地域の人たちが参加して実施されている。このかるた大会の経緯は、平成12年8月5日若樹の会から、かるたの企画概要が提案されたことにより始まった。ついで神田郷土いろはかるた実行委員会から、「神田郷土いろはかるた」の募集が「公民館だより」により、地域おこし・地域再発見の一つとして呼びかけられた。応募総数579作品のうち45の作品が選考された。その後、かるたの絵札絵画作成を神田小・相模小の学校長に依頼し子どもたちにより絵札が描かれ、さらに絵画の専門家によって修正が行われ、読み札は、相模小学校の校長であった小瀬村春雄氏によって浄書された。平成13年1月13日に「第一回神田郷土いろはかるた」が神田小学校に於いて開催された。神奈川新聞、朝日新聞、タウンニュース、湘南ジャーナルで「世代交流の場・きずな結ぶかるた遊び」と取り上げられた。 (平 井)

    田村の歴史を学びました。

    [田村の文化と歴史]

    2015/12/09 18:38:37
     神田小学校4年生は、社会の学習で地域の人々の生活の変化や先人の苦労や願いを勉強しています。今日は神田公民館長さんと井筒屋さんをゲストティーチャーにお迎えしました。
     田村の渡しの船着き場や大山詣の街道として、江戸の昔から多くの人でにぎわい、豊かな村であった田村地区の様子、また、和菓子の変遷や創作の工夫などを教えていただきました。子ども達は熱心にメモを取りながら、貴重なお話に耳を傾けていました。

    公民館長の田村の地を訪ねる 52 【田村地誌】

    [田村の文化と歴史]

    2015/11/27 17:54:59

    公民館館長の田村の地を訪ねる 52【田村地誌】
     明治政府は、新しい時代に即した様々な調査事業を行った。最も大規模な調査事業が明治8年の『皇國地誌』の編さんで皇國地誌編集例則にそって調査された。ところが、大正12年の関東大震災のため烏有に帰してしまった。神奈川県図書館協会郷土資料編集委員会により県下に残存する『皇國地誌』関係資料の調査をしたところ約20パーセントが発見され「神奈川縣皇國地誌残稿上下巻」として昭和38年3月に刊行された。その、調査時に神田地区(田村・大神)は漏れてしまい日の目を見なかった。『大神村誌』については、草稿と写本が数冊あり、写本により数字などに異なる点が見られる。田村のものは、『相模國大住郡田村地誌』の表題があり。二冊ほどあることを確認している。『田村地誌には、明治14年12月2日に神奈川県の地誌掛の中島厳の検閲をうけ、当時の戸長の福島治兵衛以下23名の名が記されている。坂上田村麻呂のサイカチの樹の話や田村が近郷35村の親村で、田村組もしくは田村寄場と呼ばれたと云う記述がある。これらの記事は、『新編相模國風土記稿』には載せられていない。明治14年11月30日から三日間、田村の「松屋」において戸長、筆生と数名の議員により、聞き取り調査及び作成にあたったと記されている。 (平 井

    田村地区 行事年間スケジュール 平成27年11月〜平成28年4月

    [田村地区年間スケジュール]

    2015/11/02 21:33:55
    田村地区 行事スケジュール


    平成27年11月〜平成28年4月の田村地区の行事スケジュールをUPしました。
    スケジュールは最新のもので確認下さい。

    確定になると枠に囲まれます。
    ※枠に囲まれていない行事は未定です。

    例年の日程を曜日重視で予定としてのせています。
    行事修正・確定の場合は、HP顧問の福島昌保090-5343-2853まで連絡下さい。(作成福島/重田)
    11646_A.pdf予定表H27-11.pdf

    公民館長の田村の地を訪ねる51 沈鐘伝説

    [田村の文化と歴史]

    2015/10/30 18:16:48
    妙楽寺 平塚八幡宮 大念寺
    公民館館長の田村の地を訪ねる 51 【沈 鐘 伝 説】

     田村の妙楽寺の西隅に鐘が埋まっていると云う伝説がある。
     天文19年(1550)相模川の氾濫により妙楽寺の鐘楼が崩壊して、その鐘が門前に埋まっていると伝えられている。相模川は、かっては暴れ川で毎年のように大水の被害に村人は難儀をしたそうである。大水を鎮めるために入定した常勝寺の覚厳上人の話も伝えられている。沈鐘伝説は、四之宮の大念寺東方の鐘堀塚の伝説や平塚の八幡宮の神池に武田信玄が小田原北條攻めの際、梵鐘を池中に投じたと云う沈鐘伝説もある。
    (平 井)

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