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地域の紹介
田村は平塚市の北東部・相模川沿いに位置し、西に富士・箱根・丹沢・大山を望む風光明媚な地域です。又、南北に国道129号が通り、自動車販売店・大型電器店・大規模商業施設等で賑わっています。古くは、田村通り大山道、八王子往還の継立場として繁盛し、更に「田村の渡し場」があり、交通・物流の要所として栄えていました。無形文化財の田村囃子と印場踊りや、鎌倉武将・三浦義村館跡等の旧跡もあります。明治22年に神田村となり、昭和31年に平塚市と合併し自治会活動、福祉活動、その他各種団体の地域活動も盛んです。地区には平塚市の聖苑(火葬場)があり市民生活に役立っています。
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[田村の文化と歴史]
2015/04/29 17:59:18
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公民館長の田村の地を訪ねる 45【田 村 学 校】
明治5年に学制が発布されたことにより、神田地区にも小学校が明治6年6月1日に「田村学校」として創立された。最初は、当時、田村の戸長であった福島治兵衛氏宅(巴屋)に置かれた。(左上の写真)田村・大神の子どもたちの中には、現 大野公民館のところにあったと云われる有章館(後の四之宮学校)に通学していた児童もいたようである。有章館の資料に田村68人、横内13人、大神29人と明治7年12月までの就学者の記載がある。明治14年に妙楽寺の庫裡(くり)に教室が移転した、(中の写真)小学校は下等科4年、上等科4年となっていたが、妙楽寺の小学校は、下等科のみであったため、上等科は、四之宮学校(現 北向き観音堂)に通学したと云われている。『文部省第二年報』によると「田村学校」の就学者は男53、女14とある。学年編成は、1年が二級ずつにわかれていて、1年生が八級と七級、2年生が六級と五級と云うようになっていた。当初の学区は、田村(含む横内)、大神、吉際であったが、明治18年大神・吉際が戸田村に合併すると大神・吉際の子どもたちは酒井学校や相川学校に通学した。当時の学習は、読書、習字、算術、地理、歴史、修身が必修とされていた。なお、この時代は、授業料がかかり、明治の初めは、1ヶ月50銭ほどであった。その為か、不就学児童が有章館の資料に田村・横内・大神・吉際で234人に達していたとある。明治22年市町村制の実施(田村(含む横内)、大神、吉際を以て神田村)により、4月1日「田村学校」は、尋常神田小学校と改称された。明治27年2月16日田村字前田に校舎が新築移転し、妙楽寺教室も廃止された。(右上の写真は明治14年の田村学校の卒業証書 小泉武彦家所蔵) (平 井) |
[田村の文化と歴史]
2015/03/26 16:35:15
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公民館館長の田村の地を訪ねる44【改戸(かいど)のさくら並木】 田村8丁目の字改戸に「改戸のさくら並木」と地元の人々に親しまれ、田村の名所になっているところがある。今年で22回目を迎える「さくら祭り」が地元の有志の面々により盛大にとり行われる。この祭りは、田村の「神友会(しんゆうかい)」が主催、「田村自治連合会」が共催となり、さくらの樹に提灯が飾りつけされ3月28日から4月11日まで開催される。なお、4月5日には、天神森公園で演芸大会が予定されている。ここの「さくら並木」は、月に2回、世代を超えた方々の清掃活動もされ、その活動も回を重ねるごとに参加されるボランティアが増え、「さくら並木」に寄せる関心の高さが伺える。 かつては、改戸の土手はさくらの名所であったと云われているが、戦後、桜は、河原の松林とともに塩をとる燃料として伐採され、土手は、開墾され畑として使われた。昭和24年頃、県の指導で、ソメイヨシノの桜27本が植樹され、その後、24本の桜が植えられ、東側のコミュニティー道路から相模川縁の天神森に至る(市道16号線)までに51本に及ぶ「さくら並木」が素晴らしい景観を醸し出している。昨年、8丁目の自治会長が平塚市の「重要景観樹木」に応募されたが残念ながら指定されなかった。右の写真は、戦前の様子、「神田のあゆみ」より掲載。 (平井) |
[田村の文化と歴史]
2015/02/25 16:57:38
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公民館長の田村の地を訪ねる43【初午(はつうま)と稲荷(いなり)】 初午(初稲荷)とは、2月の最初の午(うま)の日にわらで作った「わらづと」に赤飯をのせ、油揚げ、メザシ、煮しめ、団子などを稲荷に供える稲荷社の祭りを云う。「神田郷土いろはかるた」(右上の写真)にも紹介され子どもたちに伝えられている。この日に、関東三大稲荷と称される秦野の「白笹稲荷」に参詣してお札を自分の家の稲荷に供えるお宅や、稲荷の前で正月飾りなどのお焚き上げをされるお宅もある。旧家の庭に、お稲荷さんが必ずと云っていいほど祀られている。稲荷の祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)で、農村では、農業神、漁村では漁業神、都市では、商工業者の守護神として信仰されている。稲荷信仰では、狐が稲荷の使者として尊敬され、狐の好物の油揚げやメザシを供える。昔は、京都の伏見稲荷大社、豊川稲荷社に参詣したり、「正一位稲荷大明神」と書いた赤い幟(のぼり)を立てて、近所の人々が集まって飲食を共にしたりしながら親睦を深める稲荷講が行われていた。(平井) |
[田村の文化と歴史]
2015/01/30 21:18:03
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公民館長の田村の地を訪ねる42 【岸田家伝来の太形蛤刃石斧(ふとがたはまぐりばせきふ)】 太形蛤刃石斧は、戦前に二つの石斧が天神森の社(やしろ)のところから岸田家の当主によって発見されたもので、一点は博物館に一点は岸田家に所蔵されていると『神田のあゆみ』に記載されている。しかし、昨年、確認したところ岸田家にはなく、あったことさえ知らないと云われた。また、博物館に寄託された石斧については、「毎年手続きをするのが大変なので寄付した」と話された。現在、石斧は博物館の二階に展示され、『平塚市考古資料50選』にも紹介されている。神奈川県内では隋一の大きさで長さ21.3p重さ1.351gもあり、ズシリとした重みで使用した痕跡が見られる磨製石器である。重量を生かした破壊力で樹木の伐採や木材の荒割りに使われたようである。石材は変成岩の一種のホルンフェルス、弥生時代中期頃のものと考えられている、この近くには、田村天神前遺跡や田村館跡遺跡がある。天神前遺跡からは、7世紀から10世紀にわたる住居跡を中心とする遺構が発見され集落があったことが確認され、田村館跡遺跡からは弥生時代中期の土器が発見されている。ホルンフェルスとは、硬い岩石と云う意味があり、県内では丹沢山系で見られるもので、ことによると相模川から採取されたものが石斧に加工された可能性があるかも知れないかと思いをめぐらすのも楽しい。 右上の写真は田村天神前遺跡 (平 井) |
[田村の文化と歴史]
2014/12/24 20:14:36
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公民館長の田村の地を訪ねる41【消防第12分団】
田村6丁目、植竹の信号を東に進んだところに平塚市消防第12分団(左上写真)がある。市内には19分団ある。団員は、横内・大神・田村の20名で構成され、神田地域は無論のこと市内及び隣の伊勢原・厚木・寒川までを活動範囲としている。月2回ほど点検、検査、訓練をしているとのこと。市においての操法大会でスピードと技術が競われ消防力向上に努めている。消防は、明治の中頃までは、火消しと呼ばれ、最寄りの人々が集まって消火につとめるものであったが破壊消防の域をでるものでなかった。明治27年消防組規則が公布され明治34年町村単位の消防組が編成された。組頭・小頭・消防手から構成された。真ん中の写真(八田正巳家蔵)から、大正時代の第一部から第三部までの神田村消防団、団長は八田栄太郎氏、およそ210名の団員で組織されていたことがわかる。昭和13年、戦時体制に突入するため警防団として改組され、消防任務のほかに戦争遂行上、指導的権力が附与された。右上の写真(茂田明家蔵)は、昭和19年、石川重昌警防団長の時の神田村警防団全体の木製の火の見やぐらと新しい鉄製の火の見やぐらの前で記念写真である。他に青年会館(詰所)前での神田村警防団第一分団の写真(金子貞子家蔵)が残されている。終戦後、22年警防団が廃され、町村長所管の消防団が発足した。昭和25年12月の公設消防一覧によると神田村消防団は、団長以下164名であった。当時の主な器具は腕用ポンプ3台という状況であった。写真にあるとおり、現在の十王堂跡のところに火の見やぐらがあり、上に半鐘が架けられていた。竹や木で作られた火の見やぐらで後に鉄製の火の見やぐらが設置された。昭和43年に田村の相模川西岸に消防訓練所が建設されたが、昨年、豊田地区に移転された。 (平 井) |






