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公民館長の田村の地を訪ねる 52 【田村地誌】

2015年11月27日 17:54:59

[ 田村の文化と歴史 ]

公民館館長の田村の地を訪ねる 52【田村地誌】  明治政府は、新しい時代に即した様々な調査事業を行った。最も大規模な調査事業が明治8年の『皇國地誌』の編さんで皇國地誌編集例則にそって調査された。ところが、大正12年の関東大震災のため烏有に帰してしまった。神奈川県図書館協会郷土資料編集委員会により県下に残存する『皇國地誌』関係資料の調査をしたところ約20パーセントが発見され「神奈川縣皇國地誌残稿上下巻」として昭和38年3月に刊行された。その、調査時に神田地区(田村・大神)は漏れてしまい日の目を見なかった。『大神村誌』については、草稿と写本が数冊あり、写本により数字などに異なる点が見られる。田村のものは、『相模國大住郡田村地誌』の表題があり。二冊ほどあることを確認している。『田村地誌には、明治14年12月2日に神奈川県の地誌掛の中島厳の検閲をうけ、当時の戸長の福島治兵衛以下23名の名が記されている。坂上田村麻呂のサイカチの樹の話や田村が近郷35村の親村で、田村組もしくは田村寄場と呼ばれたと云う記述がある。これらの記事は、『新編相模國風土記稿』には載せられていない。明治14年11月30日から三日間、田村の「松屋」において戸長、筆生と数名の議員により、聞き取り調査及び作成にあたったと記されている。 (平 井

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