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わたしの田村

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公民館長の田村の地を訪ねる48 【手水舎】

2015年07月30日 17:33:54

[ 田村の文化と歴史 ]

公民館館長の田村の地を訪ねる 48 【八坂神社の手水舎】
  八坂神社の両部(りょうぶ)鳥居(とりい)をくぐると右手に手水舎(ちょうずしゃ)がある。手水舎とは、聖域を訪れる際に周辺の河川の水や湧水で身を浄めたことに由来すると云われ、参拝者が身を浄(きよ)めるために手水を使う施設であり、水盤舎とも呼ばれる。この手水舎は、平成23年10月に再建された。中央の写真の手水石は享保3年(1718)の年号が記され、「正面に盥漱盤(かんそうばん) 左面に寄進 信州伊那郡 石屋清水平四郎 別當 円光院聖運 漫書 右面に牛頭(ごず)天王(てんのう)御宝尊」と刻まれている。真ん中に八坂神社の神紋である木瓜紋(もっこうもん)が見える。石屋清水平四郎は厚木の妙伝寺の題目塔や大磯鴫立庵(しぎたつあん)の句碑に「石工大住郡田村清水平四郎」の銘が残されていて、田村に土着したと考えられている。円光院は、牛頭天王社の別当であったが、明治の初めに廃寺となった。牛頭天王社は明治の神仏分離令により、八坂神社と社名が変更された。両部鳥居とは、支柱を4本の稚児柱(ちごはしら)で支える形式のもので、厳島(いつくしま)神社(安芸の宮島)の鳥居が代表的なものである。  (平 井)

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