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地域の紹介
相模川に面し、東海道東の玄関口としての位置にある松原地区は、馬入とも呼ばれ、その歴史は平安時代末期にさかのぼります。
やがて関東武士により鎌倉に拠点が構えられ海岸線の往来が活発になると、源頼朝が、騎馬で落下したとする伝えから、今の相模川が馬入川と称される由来もあります。 馬入の地名は、いつ頃から称されるようになったかは不明ですが、江戸幕府が東海道の宿駅を制定したときは馬入村が存在し、馬入の渡しの名称が存在していたことは確かなようです。
そして明治に入り、ついに、村民一致団結によりこの馬入川に最初の橋をかけ、東海道の往来に大きく貢献し、共に発展してきました。
(松原公民館50年史より)
やがて関東武士により鎌倉に拠点が構えられ海岸線の往来が活発になると、源頼朝が、騎馬で落下したとする伝えから、今の相模川が馬入川と称される由来もあります。 馬入の地名は、いつ頃から称されるようになったかは不明ですが、江戸幕府が東海道の宿駅を制定したときは馬入村が存在し、馬入の渡しの名称が存在していたことは確かなようです。
そして明治に入り、ついに、村民一致団結によりこの馬入川に最初の橋をかけ、東海道の往来に大きく貢献し、共に発展してきました。
(松原公民館50年史より)
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2023/02/15 15:50:23
江戸時代、幕府は大きな川に橋をかけることを禁止しました。当時の東海道も相模川という大きな川を渡っての往来となるのですが、橋がないため、人々は≪渡し舟≫で渡っていました。この渡し場を「馬入(ばにゅう)の渡し」と呼び、幕府が管理し、周辺の村々によって運営されていました。
渡し舟には、人を乗せる船(定員20名ほど)だけではなく、馬も一緒にのせて渡す大型の船もありました。また将軍や大名用として[御召船(おめしぶね)]という船も用意されていたようです。 渡し場には「川会所(かわかいしょ)」と呼ばれる役所があり、川の様子を観察したり、渡し舟の管理や渡し賃の徴収などを行っていました。 松原地区では、歴史的遺産として「馬入の渡し跡」を後世に残すべく、碑の建立を計画し、市へ要望を提出しました。そして計画が進むと、市からの補助金に加え、個人や近隣の企業からも寄付金が集まり、平成18年8月に高さ2mを超える立派な碑(右写真)が完成しました。 |
2023/02/12 8:07:48