ちいき情報局開局にあたり 念願であった「安心・安全の街 富士見」のホームページ開局にあたり、富士見地区の歴史をひもといて見たいと思います。 東海道五十三次の宿場まちである平塚宿もその一つと言われ、本陣と脇本陣の跡の碑もあり幕府専用の掲示板である高札場の碑も建てられている。見附と言われる見張り所も東見附は旧市民センター近くにまた西口見附はロイヤルホームセンター手前にある。(両見附の間が正式な宿内で、約1kmに渡る街道の7割が富士見地区内) また、富士見地区には神社佛閣が多くあり、その寺院のなかに桓武天皇の孫娘がこの地で没したので土を盛って棺を納め塚としたが、上が平らになったので平塚と称したと言われている。 また、その寺の一画に講談等で知られる「お初の墓」もある。 この富士見地区は文教地区とも言われ古くは江戸時代より宮崎拡堂先生が私塾を開き漢学を中心に教えたとする成器塾跡地の碑が平塚商業高校の南東の場所にある。 更に富士見小学校・春日野中学校はもとより創立135年の県立平塚農業高校、令和2年に統廃合により平塚商業高校が県立平塚農商高校と改名。創立100周年を迎えた県立平塚江南高校や湘南平塚看護専門学校・県立平塚看護大学校と多くの教育施設がある地区は、他にないかと思います。開局にあたってのご挨拶とします。 富士見地区町内会連合会 稲毛 文雄