3月6日放送の「鎌倉殿の13人」
第9回「決戦前夜」では、直接は描かれませんでしたが、土屋氏が大きく関わっています。「
甲斐の武田へ」「富士川の戦いと義経対面」の2回に分けて投稿します。
(鎌倉殿と土屋氏④の投稿にて、)吾妻鏡によると、北条時政が甲斐の武田へ使者として送られた12日後(1180年9月20日)に、
「土屋三郎宗遠が(頼朝の)使いとして甲斐国に向かった」と紹介しましたが、大河ドラマの中では残念ながら登場しませんでした。
吾妻鏡では、
「9月24日、土屋三郎が甲斐に到着し命令を伝えた。甲斐源氏武田太郎信義・一条二郎忠頼らが集まり、駿河で頼朝軍に合流することを評議した」、
「10月18日、甲斐の源氏の軍勢が頼朝軍に合流。(中略) 土肥実平、土屋三郎宗遠らが頼朝に盃酒を献上した」など、詳しく記録が残っています。 ※ 詳細は添付の画像をご覧ください。
また、
「源平盛衰記」では、羅巻第二十二
「宗遠値小次郎の事」の項で、宗遠が甲斐へ向かう途中に、
息子の土屋義清と足柄峠で出会う話が残されています。ただし、源平盛衰記は鎌倉時代の軍記物語であり、挿話を多く含むため、史実(吾妻鏡)と矛盾している点があります。
※ この話を元に平塚てづくり紙芝居の会が制作した「ひらつか歴史ばなし」の話をPDFファイルで添付しているのでぜひご覧ください。
鎌倉殿と土屋氏④「特設コーナー作りました!」鎌倉殿と土屋氏⑤「亀谷と土屋氏」鎌倉殿と土屋氏⑦「富士川の戦いと義経対面」
こちらのページにも詳しく書かれています。
鎌倉武士のくらし 小学生版 土屋三郎宗遠 4 「頼朝、上総介広常をしかる!・土屋三郎宗遠は甲斐へ」 

